先日(11月7日)会津から新潟へ252号線を走りました。全線再開された只見線に沿って日本の秘境を走ったわけです。親知らず子知らずは何度か走っていますが、比較できません。
さて只見の会津よりのところに「河合継之助記念館」があり、立ち寄ってみました。長岡藩を明治維新における最大悲劇に遭わせた人物ですが、長岡市とは温度差が違い、会津のここでは篤く敬っているのを感じました。
それにしても、会津藩の三分の一ほどの石高しかない長岡藩は、官軍と堂々渡り合い、会津藩とほぼ同時に降伏しています。その手腕は、継之助の有能さを物語っているのですが、悲惨な状況に追いこまれた領民はありがた迷惑だったかもしれません。
明治維新は日本開闢以来の大事件だったと思います。総領の徳川慶喜は恭順の意を示しているのに、けったくその悪さもあってか逆らった一部の武士たち。今となれば、武士の世を終わらせるために、武士同士が命を賭けて戦った時代だったようです。
その後現代に至るまで、世界中で同じような事件や事変、戦争がくりかえされていて、人類はバカじゃないかと私は思います。
それにしても、ヒトそれぞれの認識とか考えの違いは、ちょっと理解できないものがあります。特にトップに立って、多くの人々の生殺与奪を握っている立場の人物に言いたい。
西川