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嵯峨野散策 野宮神社随想

 嵯峨野の竹林のそばに、野宮(ののみや)神社があり、お詣りした。
 ここで思い出したのは、数年前、文化財保護協会の旅行で、伊勢の斎宮歴史博物館を訪れた時のこと。確か野宮のことが書いてあったと思い出し、早速記録したノートを探した。ノートには以下のように書いていた。

 博物館に入ると「大来皇女(おおくのひめみこ)と壬申の乱」という企画展が開催されており、パンフレットに「神風の 伊勢の国にもあらましを いかに来けむ 君もあらなくに」と大来皇女の歌があった。愛弟の死を嘆く哀歌をのこした彼女は父、天武天皇によって天照大神宮に遣わされた、実質的な最初の斎王と書かれていた。

 斎王とは、天皇が即位するたびに選ばれ、天皇の代理として伊勢神宮につかえた巫女で、斎王の宮殿と、彼女に仕えた宮人たちの役所・斎宮寮は、7世紀後半から14世紀前半まで続いたとのことで、国史跡斎宮跡は東西2㎞南北700mに及ぶ広大な遺跡とのことで、その広さに驚いたものである。
 もう一つ驚いたのは「群行」についてであった。斎王に選ばれると、自室で世間から切り離された生活を送る。次に平安宮の中の一室に移り、翌年の秋、京外の「野宮移り」に移り、一年を過ごす。そしてその翌年の秋、伊勢神宮の「神嘗祭(かんなめさい)」に合わせて旅立つ。足掛け3年となるこの旅は、「群行」と言って、近江から鈴鹿の山々を越え伊勢の国に至る五泊六日の行程に至る。
 このように野宮と伊勢の斎宮が繋がり、今日のハイキングは意味のある一日となった。

岩井

 

 

「嵯峨野散策 野宮神社随想」への1件の返信

京都に在住していた頃、何度も歩いた嵯峨野の竹藪道を懐かしく
思い出しました。今年のNHK大河ドラマ「光る君へ」を新たな視点で
眺めております。世襲男性の政界、中世日本社会に於ける女性の存在は
現代人から見ると異常ともいえる厳しい時代だったのだろう?。
 歴史とは「時代の遺物なのでしょう」

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