17.月次御礼・具足改・目安箱の設置

月次(つきなみ)御礼

7月1日より月次御礼が始まりました。藩主は御本城の居間書院に入り、御家老・年寄を召出し、右同所にて亀山本徳寺・船場本徳寺からの使者の口上を受けました。この取次ぎは物頭の荒木貢と前田郡次左衛門が勤めました。それより本城団右衛門が罷り出て黒書院お使者請(うけ)お仕度調いましたと申上ると、殿様は、黒書院へ入られ両本徳寺の使者長上下(ながかみしも)にて挨拶をしました。この時の御目見の披露は、天野善十郎・鈴木念兵衛が勤め、取次ぎは、本城団右衛門が勤めました。これが済むと、月次御廻りという行事が続きます。城内の見分です。この日は、お帰りがけに御向屋鋪へ入られ、鉄砲を御覧になり、その後は大鼓櫓へ入られたとあります。

CG 向屋敷からお茶屋を見る(姫路城アーカイブより)
具足改め

9日の記録を見ると、御本城鶴の間にて二度に亘って藩士の具足改めを行っています。

七月九日、朝六時揃い銘々具足持たせ候て御本城へ罷り出、鶴之間御上段の東方に飾り仕り候、(中略)、御覧の節、御小姓・御近習席の者、皆々御跡へ御付き申し候事、右相済候て中目付一統相揃い、河合隼之助どのより一統所持の具足御覧、御満足の由申し渡され候、尤も、この席二度に相成り候

藩主じきじきに藩士所持の具足(武士の道具・調度品、武具・甲冑など)を見分しています。武士としての日頃の備え確かめています。「一統所持の具足ご覧、ご満足の由」と記しています。

表の会読

17日の記録を見ると、「表の会読」が始まっています。重臣参加の勉強会というものです。「唐鑑」の初巻より始めています。

七月十七日、表の御会読相始め候、尤も御家老・御年寄・御用人・大目付・奉行等并に教授・助教迄出席、唐鑑(からかがみ)初巻より相始め、但し本文より以後、定日朔望(朔は陰暦で、月の第一日、望は十五日をさす)
高須隼人・内藤半左衛門・河合隼之助・本多主税助・    松平孫三郎・藤本二助・原田藤右衛門・深瀬礒大夫・         利根川彦兵衛・牛込次大夫・中新井杢右衛門・
角田心蔵・原次右衛門・町田希次・萩原與作・羽田省一郎

定日は朔望となっており、月の1日と15日が定例の会読日にでした。出席者は、家老・年寄・御用人・大目付・奉行の他に好古堂の教授・助教が出席しています。国元の主な重臣が出席しています。藩主直々のお声ががりでしょう。昌平校で学び近習席学問相手を拝命した新進気鋭の学者、亀山敬佐の初めての会読会ですから物珍しさと緊張感の中で催されたことと思います。

目安箱の設置

日付けは記されていませんが、7月には目安箱が設置が行われています。「下情上通」の意図を持って代々の藩主の下で設置されましたが、先代(6代藩主忠宝)の代替わりから遠慮も有り開封していなかったようで、晦日に開封したところ
「一封投書もこれ無き」有様であったと記しています。このため「ご新政のご時節、下情上通致し候様思召しに在らせられ候」と記し、「お政事向きのご一助にも相成り(中略)嫌疑なくご先代の通り投書仕り候様ご沙汰に候」と改めて通達しています。目安箱の設置に署名している7名の重臣、長沢小大夫・北爪弾蔵・大河内二右衛門(帯刀)・本多主税助(意気揚)・河合隼之助(良臣)・内藤半左衛門・高須隼人(広正)は、小姓頭と家老職を勤め、この頃の国元藩政の実質的な責任者と見てよいでしょう。

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