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播州弁あれこれ2

 酒井雅楽頭(うたのかみ)家が、前橋から姫路藩主として入封してきたのは寛延2年(1749年)。以来幕末まで姫路は酒井家の統治となる。入封後、酒井家は前橋弁を公用語とすることを通達し、藩士に対して公の場での播州弁を禁じている。播州弁を見下げたり忌み嫌った訳ではないと思う。(ほんとは見下げていたかも・・)単に誤解や伝達ミスを避けたかったのだろう。当時の方言の違いと認識力の差が、今より格段に大きかったのである。
 幕末の頃になると、前橋から付いてきた藩士たちもみんな代替わりして前橋弁を知らない播州育ちばかりである。彼らが公の場で使う前橋弁はどんなだったろうか。関西訛りのおかしな前橋弁だったのではと微笑ましく想像するところである。議論が白熱して興奮してくれば、「なんどいやー」「ごうわく!」などと、我々の親しみ深いフレーズが飛び出していたに違いない。

 さて播州弁いや姫路弁の中に前橋弁と共通する言葉がいくつか残っている。
「いごかす」(動かす)、「はしこい」(すばしっこい)、「はぜる」(破裂する)などは姫路人には馴染みがあるのではないか。
 これらは酒井家の置土産とも言える。やはり日本語もまた歴史と風土に揉まれながら現代に繋がっているのである。

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