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播州弁あれこれ6

播州弁弾圧史  一年ほど前、姫路城世界遺産登録30周年イベントで、県立大の宇那木先生による「姫路藩と忍びの者」と題する講演を拝聴した。今も残っている忍町には、江戸時代、忍びの者が住んでいて、飾磨門に出入りする荷物や人流を […]

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古城の実在モデルを求めて3

4.ネビガーの出身地にある古城塞ではないか  ネビガーの出身地は西プロイセンのローゼンベルグとある。西プロイセンは現在のポーランド北東部である。  ローゼンベルグという町はドイツをはじめ東欧各地にいくつか見られるが、この […]

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古城の実在モデルを求めて2

 古城城塞の実在モデルを探すには、これら既知情報から推論を建てて作業を進めていく必要がある。多くの推論が構築されうるが、それらの内、比較的確からしいものを抽出して考察を進める。 1.城塞模型は、郷愁や慰安ではなく、明確な […]

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古城の実在モデルを求めて

 第2回公開講座「第一次世界大戦と俘虜収容所」に参加して、ほぼ10年ぶりに本徳寺の捕虜遺物と再開した。  以前はよく考えもせずに見過ごしていたが、講座に参加して、改めて「これは単に故郷をしのんで作られたものではない」と確 […]

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播州弁あれこれ 5

不可思議なるも楽な言葉  播州のあちこちで飛び交うごくありきたりなやりとり。 「らく?」「らくらく」  エトランゼ(異邦人)にはまったく意味不明なやりとりだと思う。このやりとりはシチュエーションによって大きく意味が違うの […]

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播州弁あれこれ 4

播州弁禁止令?  「播州弁あれこれ2」にて、酒井家は前橋弁を公用語とする通達を出していたと書いたところ、藤原代表から「そんな通達はあったかな。出所と年代を再確認するべし」との意見をいただいた。  城郭図書館で史料を濫読し […]

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播州弁あれこれ3

播州人は「ぞ」が苦手  学生時代の友人が大阪に就職していて、久しぶりに会った際、「姫路弁を覚えたぞ」と言った。言うてみいと返すと、恐い顔をしてみせて「なんどいやー」「なんしょんどー」。他府県出身の彼には、播州弁はケンカを […]

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播州弁あれこれ2

 酒井雅楽頭(うたのかみ)家が、前橋から姫路藩主として入封してきたのは寛延2年(1749年)。以来幕末まで姫路は酒井家の統治となる。入封後、酒井家は前橋弁を公用語とすることを通達し、藩士に対して公の場での播州弁を禁じてい […]

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播州弁あれこれ

関西弁の一部地域では、疑問文の語尾に「け」をつける方言がある。「行ったのか?」が「行ったんけ?」となる。播州弁も関西の西の外れではあるが、その言語圏に属し、中高年を中心に「見たんけ?」「めし喰うたんけ?」と、決して上品と […]